コラム vol.5

今回は、私の今の夢

私は高校の体育教員を目指して進学高校でバレーボールと勉強をしていた普通の学生でした。
しかし、受験した大学当日か前日に胃痙攣・捻挫・インフルエンザと言う神様が、
「大学に行くな」と言われている様な感じ?今で言う鬱になり家出したのです。
しかし、行くあても無く同級生の従兄弟がいる優しい叔父の家に身を寄せました。
何日いたかわからないけど、次第にやる気が出て来てアルバイトに生を出すようになったのです。
また、人生を一緒に過ごしたいと思う女性と出会い、幸せな時間を過ごしていたところ、父から勧められた警察官の試験(200倍)に合格したのです。
イケイケ状態の私は、当時篩にかけて不適格者ひ排除する[警察学校]に入り、いつ逃げ出そうかと言う、1億円積まれても、卒業してから絶対に行きたくない場所で生活せざるを得ない状況ですした。
警察学校の教育は徹底的な特別権利関係と基礎的法律・体力向上の場所でした。
当時、昭和58年当時から犯罪は少年犯罪が半数をはるかに超え、警察は躍起になっていました。暴力団の抗争も華々しかった時代です。
私は、学生時代は喧嘩の仲裁役で、怖いモノ知らずで、警察学校の教育で更に強固な考えを暴力団と不良少年の犯罪に心が震えだしたのです。
当時の少年犯罪は、シンナー吸引とシンナー・バイクの窃盗が大半でした。
体育教師は、校外でも補導していた時代だった頃なので、新任だった頃の指導者も同じ事案を担当する刑事の人であることで、地域の不良グループを把握して活動していました。
その頃から今も、少年犯罪は激減しましたが、種類が変わり見えない犯罪をしている。と私は思っています。
そこで、教員免許を持てず、行政書士と探偵業と元警察官が少年の保護に何が役立つか考えました。
今、現実していませんが、ボランティア活動するのがいいのではないかと考えています。
生業として田井総合調査事務所を運営していますが、公僕として35年。
退職後は、自営している中で、今の少年を少しでもいいから手を差し出してみたい。との思いになっています。
恵まれない、少年少女を私は小学生から見て来ました。
時代と態様は違えど、今もその様な少年少女がいるのです。今、令和でも。。。

世の中の裏には、
影に隠れている子供たちに当事務所は、少しでも収益の中から援助・応援・活動します。

本来なら、当事務所のアピールをすべきですが、私たちの[想い]を伝えてたく、今回は締めさせていただきます。

TS 田井総合調査事務所
代表 田井竜平

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